生徒たちの地域医療体験レポート(2023夏・志摩第2クール)

第1クールの生徒たちと入れ違いに、志摩市民病院には4人の高校生がやってきました。

・チーム医療に興味がある Tさん(岐阜・県立岐阜高校)
・助けてくれた主治医のようになりたい H君(愛知・海陽中等教育学校)
・持病のある家族や、これからの医療のために尽くしたい F君(東京・都立八王子東高校)
・夢は途上国や紛争地域での支援 Mさん(千葉・渋谷教育学園幕張高校)

それぞれ何を経験し学んだのか──生徒たちの声を紹介します!

参加前は「地域」という言葉を「都会」の対義語ととらえていて、地域医療とは田舎や過疎地の医療だと考えていました。でも地域という言葉には「コミュニティ」という意味もあります。地域医療を「コミュニティに溶けこむ医療」と考えると、田舎だけで行われるものではなく都会にも必要だと思いました。

多職種連携も大切なことだと知りました。訪問看護の際、日下伸明副院長はリハビリの回数やヘルパーさん、ケアマネジャーさんが誰なのかまで把握していて、病院の外でも多職種連携がなされていました。1人の患者さんを様々な職種の方が支えていて、お互いの分野を理解して尊敬し合っていることが分かりました。また、地域連携室の仕事を今回初めて知りました。その役割や業務は何度も会話に出てきて、患者さんの入退院・退院後の生活を円滑に進めるためにはなくてはならない存在だということも学びました。

回診中、先生たちが患者さんと目線の高さを合わせたり、手を握ったりさすったりしながらお話をしている姿も印象的でした。患者さんが何を望まれているのかを聞いて、「何日に退院できるようにしているよ」「もう少し自分で歩けるようになったら退院できるよ」など、具体的な目標を伝えていました。ゴールを提示することできっと患者さんもリハビリに意欲的になるだろうし、安心できるだろうと思います。

また、私は自分の意思を言葉で表明できますが、患者さんの中にはそれが難しい人もいます。言葉が通じない時は瞬きや口の開き方を先生たちは見ていると教えてくれました。私もそうした患者さんが本当は何を望んでいるのかを想像して、何をしてあげられるかに取り組んでみましたが、結局答えは分かりませんでした。その時の感情は言葉で説明するのは難しく、感じたことのないものが心に残っています。

院内の医療体験が始まる直前の日曜日、フィールドワークのため英虞湾に浮かぶ間崎島に行きました。住んでいるのは3、40人ほどで、内科医と外科医がそれぞれ月1回来るだけです。体調を崩した時は患者さん自身が船で本島へ渡るか、若い人が船を出して医師を呼ぶしかありません。若いといっても平均年齢が70歳を超えた島において最も若いのは40代だそうです。
そのような状態でも、島の人々は助け合って暮らし、特に不満を抱いていませんでした。もちろん医師が常駐し、いつでも診てもらえることが理想だけど、「現実的に考えて不可能だから」と島民の方が考えていたことに驚きました。

患者さんとのコミュニケーションについては、年齢差もあって最初は尻込みしてしまいました。どのように話しかけていいのかきっかけさえ掴めず、沈黙にも耐えられません。「沈黙のコミュニケーション」の話を前日に聞いて実践しようとしたものの、結局耐えられず、つい自分から質問を投げかけてしまいました。江角悠太院長の外来診察はごく自然に、気まずい雰囲気にならずに沈黙のコミュニケーションを行っていたのが印象に残っています。

救急外来の見学で特に印象に残ったのは、救急隊員との会話と検査の依頼です。医師は、救急隊員の報告に主観が混ざっている可能性も考慮し、先入観が入らないよう注意しながら患者さんの状態を診ていると聞きました。そして処置を行いながら、必要な検査を依頼しているそうです。リアルタイムで患者さんの命にかかわることを取捨選択していく、という救急外来の一秒を争う面を見た気がしました。また処置を行っていたのはNP(Nurse Practitioner=診療看護師)で、その方は看護師時代に職種上のどうにもならない無力感からNPになったそうです。しかし、米国に比べて日本はまだNPにできることが少ないという現状を聞き、制度の課題を感じました。

江角院長の外来診察を見学した際、問診を体験させていただきました。いざ自分が問診をするとなると不安も大きく、患者さんも目の前に高校生がいる状況に戸惑っていました。けれども、僕が何者なのか、どういう経緯で医療体験に参加しているのかを説明すると、快く受け入れてくれました。その場では患者さんの普段の生活や夢などについて聞き、緊張したせいかあっという間に終わっていました。今の私には医療的なことは出来ませんが、患者さんをよく知ることができました。

後日、同じ患者さんと病院内ですれ違うと「勉強頑張ってな」と声をかけてくれました。東京の高校生と志摩の患者さんとの間で、たった10分ほどのコミュニケーションで信頼関係を築くことができたということに、喜びとやりがいを感じました。

担当患者さんとも最初は会話が続かず、自分のことばかりを一方的に語っているような状況でした。しかし、日を追うにつれて関係が深まり、たくさん話してくれるようになりました。そのやりとりの過程で分かったのは、家族が遠方に住んでおり、患者さんは独り暮らしの状態だということです。そこで僕は、zoomで互いにつながることができないかと考えました。実現には至りませんでしたが、家族の方と電話で話して患者さんの状態を伝えたところ、「今度志摩に様子を見にいく」と話してくださり、患者さんも「ありがとう、ありがとう」と喜んでくれました。

救急外来を見学した時は、転倒して頭から出血してしまった患者さんの血を浴びてしまい、とても慌てました。でも医師やNPは患者さんの血がはねても動じず、処置に神経を注いでいました。想定していた治療法がうまくいかなければ別の方法で冷静に対応し、治療に一心に向き合う姿を見て、現場の真剣さを実感しました。

今回の医療体験で学んだことはたくさんあります。中でも大きな収穫は、「他と比べ『何が足りないか、できないか』ではなく、『何があるのか、できるのか』に目を向けなさい」という母の言葉の意味を実感できたことです。

私の担当患者さんは喉頭がんで気管切開をしているため、声が出せませんでした。最初に突き当たった壁は、会話でコミュニケーションができないことです。具合が悪そうな患者さんにどこまで踏み込んで接して良いのか見当がつかず、「どこに住んでいますか」「趣味はありますか」と質問しても、ボードに書いてくれた文字が読めません。他のメンバーは患者さんと楽しそうにおしゃべりしていて、少なくとも私には順調に見えました。このままでは自分は何もできずに終わってしまうと焦るばかりでした。

3日目からは方針転換をして、手を握って傍にいる、腰をマッサージする、口元を拭くなど患者さんの負担が少ないことに徹しました。最初は見当違いなことをしたかもしれません。でも、ジェスチャーで何をしてほしいかが分かるようになり、満足そうにうなずいてもらえることも多くなりました。険しくて苦しそうだった表情が少しずつ穏やかになり、何時間も傍にいても嫌がられなくなりました。

最終日には、病棟にあるピアノを一緒に弾きました。音楽が好きだと聞いていたので、ピアノを弾いてみようかなと思ったのです。初めに「荒城の月」「紫野」を弾きました。私の演奏はお世辞にも上手とは言えないませんが、拍手をもらって嬉しかったです。そのあとは患者さんとの連弾。連弾といっても、患者さんは指一本で童謡のメロディーを弾き、私が隣で簡単な伴奏をつけるものです。最後は笑顔も見られたので楽しんでもらえたと思います。

私は、知らず知らずのうちに他の生徒や患者さんと比べて焦っていました。しかし「できることに徹する」とはこういうことかと実感しました。限られた医療資源で最善を尽くすというのは、私の夢である途上国支援においても大切なはず。その考え方を身につけられた気がします。

最初に担当患者さんとお話しした時は沈黙が気まずく感じて、何を話せばいいんだろうとばかり考えていました。ところが、1日の終わりに行われる振り返りのミーティングで、先生は「沈黙もコミュニケーションの一つ」と教えてくれました。次の日から、あえて沈黙を貫いてみると、患者さんの方から質問してくれたり、ご家族についてお話ししてくれたりしました。4日目には、「ベッドに座りな」とも言ってくれました。患者さんとの仲が深まったと感じ、とても嬉しかったです。

江角院長から「志摩市をロールモデルとして、世界平和を実現する」という言葉を聞いたときは、正直言いすぎなんじゃないかと思いました。でも、少子高齢化と人口減少の進む日本の田舎は遅れているように見えて、医療面では世界の先端をいっていることや、発展途上国も将来は日本と同じようになるかもしれないという説明に納得しました。大きな目標だけど、実現のために試行錯誤できる時代に医師として活躍できるのはチャンスかもしれないと思いました。

初日は担当患者さんとの会話にも慣れず、30分ほど話したら間が持ちませんでした。情けないことにベッドサイドを離れて別の所へ行き、また患者さんのところに戻る、ということを繰り返してしまいました。

このことを夕方の振り返りで話すと、江角院長からこう言われました。「ほんの少しでも暇ができたら担当患者さんのところに行き、患者さんが疲れているようだったら、次に患者さんに近い看護師さんや看護助手さんのところに行って仕事をもらうと良い」。これを聞いて、「とにかく患者さんの近いところにいる」という姿勢がまさに地域医療の根底にあるのだと思いました。

最終日に担当患者さんと話していると、「医者になってまた志摩に戻ってきてくれ」と言ってくれました。高校生の未来に温かい言葉をかけてくださったことがとても嬉しかったです。

病院から遠く離れた浜島町への訪問看護に同行しました。患者さんは長年寝たきりで、奥様がつきっきりで介護する生活を送っています。なぜ大変な自宅介護を選択をしたのかを聞くと、奥様は「二人にとって安心できる環境だし、緊急時には志摩市民病院がすぐに駆けつけてくれる」と教えてくれました。病院と患者さんとの信頼関係があってこそ医療が成り立つのだと実感した瞬間でした。

担当患者さんとの交流も、毎日おしゃべりをしたりリハビリに同行したりするうちに、距離が縮まっていくのが感じられました。初日には私が「また来ても良いですか?」と聞いていたのに、次の日は患者さんから「またいつでもおいでな」と言ってくれました。最終日になると、僕が東京に帰ることを心配して、会うたびに「もう帰るの?」と気にかけてくださいました。

僕と会う前の患者さんは「家に帰りたくない」と言っていたそうです。でも、僕との会話でそういった発言は一切なく、むしろご家族や志摩についてのおしゃべりを通して、「家に帰りたい」と話すようになりました。何気ない会話でも、患者さんの心を前向きにすることができたことに喜びを感じました

「自分の人生は自分だけのものではない。もっと他人のために使え」。初日に、志摩市民病院と江角院長のドキュメンタリー番組を見た時に出てきた言葉です。私も誰かを助けたり、笑顔にしたりできる人生を送りたいと思いました。

医療体験4日目の木曜日の夕方のことです。「明日が体験最終日」という話が担当患者さんのベッドサイドで出たとき、患者さんが筆談用のボードに「ありがとう、ピアノが聞けて良かった、立派なお医者さんになってね」と書いてくれました。患者さんの目に涙が見えました。お別れの時に泣いてもらう経験は初めてで、自分が必要とされることに感動して私も泣きました。患者さんに信頼していただいた経験は少し自信になりました。

江角院長の勧めで問診にチャレンジした

すごく役に立ちました!志摩の人々の暮らしと私の暮らしは、地理的にも年齢的にも全く違いました。もしフィールドワークがなかったら、私の価値観だけで患者さんに接してしまっていたかもしれません。江角院長も初めて志摩に来た時には、間崎島など色々なところに出向かれたと言っていました。私が将来病院で働くようになったら今回のフィールドワークを参考にしたいです。

今まで「なんとなく海が綺麗そう」程度にしか知らなかった志摩について学ぶことができました。またフィールドワークの最中、「江角先生のところの子」と呼んでいただいたことが印象に残っています。たくさんの自家製の野菜を持たせてもらい、激励していただきました。江角院長や志摩市民病院がどれだけ地域に根付いていて、慕われているのかを感じました。

参加前に志摩に来た経験はなく何一つ知りませんでした。ですが、フィールドワークを行ったことで志摩の医療体制について市民がどう感じているのかや、地域の産業や特色についても詳しく聞くことができました。インターネットで調べただけでは分からない、地域医療の実態や地域同士の結びつきについても知ることができました。オンラインで事前に調べ、ある程度の知識を備えた上で体験学習に臨んだことで、親近感をもって地域医療を学ぶことができ、患者さんとのコミュニケーションにも繋がりました。

離島に行って、へき地医療の現実を垣間見ることが出来たのはとても良い経験でした。医療が充実しているとは言えないけれど、基本的な部分はカバーできており、住民の満足度も比較的高い間崎島の医療システムは、人口減少と高齢化が進む日本や、農村部と都市部の医療格差が激しい発展途上国でも応用できるのではないかと思います。

フィールドワークで訪れた間崎島の人たちと

参加した目的の一つは、「自分が本当に医師になりたいのか、実際の仕事を知らずに想像だけで決めていないか」という不安を解消することでした。この体験を通して、私の不安は明確な目標に変わりました。地域にある一つの病院が毎日どのように動いているのかがしっかり頭の中でイメージできるようになりました。

また、今までは医師にだけ興味がありました。でも、他の医療職の方々がどのような仕事をしているのかや診療報酬など経営面にも興味が湧きました。医療全般に興味を持つようになったことも、私の中で大きく変わったことだと思います。

昔から漠然と医師に憧れていたものの、中途半端な覚悟で目指してよいものなのか、自分が本当に担える仕事なのかなどを悩んでいました。医療体験を通して様々な職種を見学させていただき、医療の「現場」を感じることができました。医療従事者の立場から患者さんに接する体験ができたことで、医療者の責任も感じました。

担当患者さんや回診の際お話しさせていただいた別の患者さんからも、「ぜひ志摩で医者になってくれ」という言葉をいただきました。医療従事者を目指す自分が逆に患者さんに励まされ、決断を後押ししてもらったような気がします。

今までは、患者さんの病気を治すことが医療の仕事だと思っていました。しかし、この体験を通して病気を治すことが全てではないということを実感しました。

最期は自宅で過ごしたいと願う人や、家族に迷惑をかけたくないという理由でずっと入院していたいという人。病院には実に様々な患者さんがいました。今の医療では治せないケースもあって、そうした場合は限られた時間の中で患者さんの意向に寄り添うことが大切と感じました。

また医学の知識がなくても、コミュニケーションなどを通して患者さんを笑顔にできることを身をもって学びました。今回の医療体験では参加できませんでしたが、志摩市民病院で行われている「病院祭り」はそのような面において非常に効果的だと思います。

病院とは病気を治すために全力を尽くす施設だと思っていましたが、医療には多くの選択肢があると学びました。

もちろん病気を完治できたらそれに越したことはありません。ただ、完治が難しい方もたくさんいました。緩和ケアのために転院してきた入院患者さんも多く、負担になる治療を最後まで続けるのが本当にその人のためになるのか、食事をとれなくなり、身体も動かせなくなった時に延命治療をするのが本当に患者さんの望みなのか──色々と考えさせられました。最期を家で過ごすか、病院で過ごすかも十人十色だと気づきました。

「一人ひとりにより良い医療を提供するために、普段から患者さんと積極的にコミュニケーションをとることが大切」という江角院長のお話には「なるほどなぁ」と納得しました。

江角浩安医師と生徒たち。病棟での患者さんと接するときの心構えを教わった。

医師になったら、今回のように一人の患者さんに多くの時間を費やすことはできないと思います。でも、時間を費やすことが目的ではなく、患者さんに心を開いてもらい、患者さんを知り、患者さんのために何ができるかを考え行動することが大事なのだと思います。

私自身、時間がないと勉強を効率重視でやってしまい、知識が定着せずに本末転倒ということがあります。将来医師となっても忙しい中で過ごせば、患者さんにとって大切なことを見失ってしまうかもしれません。でもこの医療体験で学んだことを、大人になっても自分の核として持ち続けたいです。

今後、地域医療改革が行われる中で、現在とは全く異なるシステムや新たな職種が生まれたりすると思います。例えばNP(Nurse Practitioner=診療看護師)が増えれば、医師不足を解消することに繋がります。私は新しいことでも良いところは認めて、積極的に取り入れられる医師になりたい。そしてそれを上手に活用して多職種連携、チーム医療を担える医師になりたいです。

僕には複雑な持病があって病院のお世話になることがあります。その治療のとき「一緒に闘おう」と言ってくれた主治医の先生のようになりたいと考えていました。

学校ではロボット部に入り、人工知能でサッカーをするロボットを作っています。PCやプログラミング、インターネットを駆使することで、過疎地の医療も改善すると考えていました。でも今回の事前研修中、PCが壊れたり接続がうまくいかなかったりで、ミーティングに参加できなかったり、研修が受けられなくなったりしたことがありました。インターネットは万能ではないということです。

担当患者さんと最後に話した際、「患者ではなく、カルテと話しているような医者が増えている、同じ立場まで下りてきて、話を聞ける医者になってほしい」と言われました。僕は知らず知らずのうちに、「カルテと話す医者」の予備軍になっていたかもしれません。患者さんと話をする中で、改めてコミュニケーションの基本に立ち返らせてもらいました。

自宅に帰って志摩を恋しく思っていることに気づきました。翌週、三重大学のオープンキャンパスに行き、一泊して周辺を探索しました。今度は研修医としてもう一度志摩市民病院に戻ってきたいと思います。

僕が医師になりたいと願うのには二つの理由があります。一つは父が糖尿病を患っていて、治してあげたいと思ったことです。二つ目は患者さんを自らの手で直接救うことのできる唯一の職として、誰かのために全力を尽くせる人間になりたいと思ったことです。

特に後者は憧れという面が強く、思いが漠然としていました。しかし今回の医療体験を通して、目標とする医師の姿を見つけることができました。患者さんとの交流を大切にして信頼関係を築くことのできる医師です。また、一人ひとりの患者さんのニーズに応えることで、苦痛と思われる入院期間を何とか乗り越えてもらえるのではないかと思いました。

医師は通常の仕事でも忙しいとは思います。その業務と患者さんとの関わりを大切にして、それらを両立できるような医師になりたいです。

私は中学生のころから、発展途上国や紛争地の前線で緊急人道支援に関わりたい、身体も心も傷ついた患者さんに寄り添いたいと思っていました。でも、身近に医療従事者がいないため、医師や医療現場のイメージが湧かず、目指す医師像を描けずにいました。他人の命を預かる責任や重圧に耐えられるかどうかも心配でした。

今回、病院の内部から医療現場を見るという経験を通して、少しですが具体的な雰囲気をつかむことができ、医療の道を志す実感がわきました。また医療現場には様々な職種があり、医師一人が全てを決めなければいけないわけではないと分かって安心しました。

命を預かる責任は重大ですが、それでも将来は医師として患者さんと向き合いたい。いろいろな職種で意見を出し合い、より良い判断ができる医師になりたいと思います。患者さんに誠心誠意向き合い、尊重する姿勢を忘れないでいたいです。

解散前、メンターを務めてくれた神戸大学医学部の学生(左)と記念撮影