生徒たちの地域医療体験レポート(2023夏・隠岐)

三重県志摩市で生徒たちが頑張る一方、日本海に浮かぶ隠岐諸島の一つ、西ノ島の別府港に高校生4人が集まりました。この島にある隠岐島前病院での地域医療体験に参加するためです。

・総合診療の現場を間近に見たい Oさん(大阪府立茨木高校)
・将来は精神科医か緩和ケア医に Mさん(東京・渋谷教育学園渋谷高校)

・夢は愛媛でかかりつけ医 Yさん(愛媛・愛光高校)
・臨床と探求の両立を目指す Y君(東京・武蔵高校)

それぞれ何を経験し学んだのか──生徒たちの声を紹介します!

外来診察や訪問診療で患者さんたちが訴える症状が全く異なることに驚きました。小さな子供から105歳まで多くの患者さんの診察を見学しましたが、一人ひとりを的確に診る医師たちの姿に「総合診療医ってすごい」と感じる毎日でした。私は大阪に住んでいるのですが、骨折や捻挫をすれば整形外科、風邪をひけば内科に行きます。街には小児科、産婦人科、脳神経内科など色々な看板を掲げている病院やクリニックがあります。でも、ここ島前病院では「よくある病気」を一人の医師が診ているのです。

もちろん、対応できないケースは本土の大学病院などを紹介し、急患はドクターヘリなどで搬送しているそうです。それでも、総合診療は合理的で効率が良い医療だと思いました。

院長の黒谷一志院先生だけでなく、若手の医師たちも診察中に雑談を織り交ぜるのがとても上手でした。患者さんに合わせて椅子の高さを変えたり、話し方を変えたり、性格や年齢によって診察を丁寧に変化させていました。

例えば、アイドルになりたいという女の子には「アイドルになるには、この薬を毎日塗らないとだめだよ」と声をかけていました。「なるべく薬を飲みたくない」という患者さんには、その意思を尊重しながらも健康を守るためにはどうしたら良いのかを真剣に考えるという場面もありました。入院を希望しない患者さんが帰宅してしまうケースもあって、医師の考えと患者さんの希望との折り合いをつけるのは難しいと思いました。

先生も「意外と自分たちができることは限られているかもしれない」と仰っていましたが、隠岐島前病院ではどんな職種でも患者さんのことを一番に考えていると感じました。

一番の学びは「患者さんに寄り添う」ことを学んだことです。参加する前から患者さんとの距離が近そうな病院だと思っていて、コミュニケーションの取り方を学びたいと考えていました。

医師と患者さんとの関係を横で見るだけではなく、私も様々な年齢層の患者さんとの会話を試みたのですが、これが大変でした。「寄り添うのは思っていたより100倍ぐらい難しい」というのが医療体験初日の私の感想です。

肺炎で重篤な状態の患者さんへの対応も印象に残っています。96%~99%が正常な酸素飽和度なのに、70%台まで下がっていて医療スタッフの間には張り詰めた空気が漂っていました。命に関わる重大な局面で、「ただの高校生がここにいていいのか、何かできることはないのか」と複雑な気持ちになりました。患者さんの数値はその後改善しましたが、複雑な気持ちを引きずってしまい、どうすれば良かったのかと考えました。

次にそのような場面に遭遇するのは、恐らく大学生の高学年または医師になってからです。その時、命を救うための知識と技術を身につけたいと思いました。

最も印象に残ったのは真夏の炎天下で防護服を着ながら、ひたむきに働く医師の姿です。「コロナの検査をします」と聞いた時には、私がPCR検査を受けた時のように涼しい場所で行うイメージでした。でも、実際に防護服を着て一緒に屋外へ出ていくと、サウナに入ったように汗だくになり、見学するだけでも大変でした。そんな中でも患者さんに笑顔で丁寧に接している医師の姿に心が打たれました。

患者さんの状況に応じたコミュニケーションの取り方が大切だということも学びました。例えば、病棟のリハビリ室。一緒にトランプやジェンガを行う時には、患者さんも楽しい気持ちで過ごしているので、私も笑顔で接します。患者さんも、「いつも笑顔の看護師さんは良い」と言っていました。しかし、痛みや苦しみ、不安がある診察や検査の時はむやみに笑わないことも大事でした。また、患者さん本人を交えない会話は、患者さんからしたら自分のことを話しているのではないかと不安に感じたり、嫌な気持ちになるのだと分かりました。医療従事者にとって、表情や言葉は時と場合によって変えるべきだと知りました。

今回の医療体験の最大の学びは、なんといっても患者さんとの向き合い方とその実践です。「病気ではなく患者さんを診る」といった言葉は以前から知っていましたが、実際に現場に立ってその意味合いが変わったと感じています。

老人ホームの訪問診療で、ある患者さんは「このまま施設で過ごしていては自分の足で歩けなくなる」と話して、手術をしてほしいと訴えました。再び歩きたいという気持ちと現実のギャップに葛藤しているようでした。だけど、手術の効果に限界があるだけでなく、手術そのものにリスクがあることを考えると、それは危うい選択肢だったのです。佐々木弘輔医師は患者さんの思いを正面から受け止めつつ、なぜ手術が出来ないのかを隠すことなく、真摯に説明をしました。「患者さんを診る」ことの一端が垣間見えた気がしました。

夕方のカンファレンスでこの体験について発表したところ、佐々木医師は「患者さんの気持ちのはけ口になれば」と仰いました。入所者のそばで日々のケアを行うのは施設スタッフです。でも、定期的に訪れる医師は、また違った視点からサポートできるのだと気づきました。

看護師の方々が担う役割の大きさにも驚きました。医師のサポートに加えて、医師とは違う患者さんへのこまめな気遣いやフォローなど、さまざまな面をみることができました。

エコーを自分の体に当てたり、白石吉彦医師による縫合処置を見学したことなど、憧れていた外科処置の現場を体験したことも純粋に嬉しく、ワクワクしました。

白石医師の外科外来で、皮膚にできた腫瘍の摘出を見守る

「自分が就いた職業で一番人を幸せにすればいい」「地域で働くお医者さんは地域の住人の一人でもある」という医師や医療スタッフの言葉が忘れられません。また、「先生がずっといてくれたらいいのに」という患者さんの訴えも印象に残っています。

訪問看護に同行した時に患者さんが「孫に早く会いたい」と言っていたことが心に残りました。看護師さんとしみじみ話す様子にも心を打たれました。患者さんを健康にすることで願いを叶え、幸せを届けるという医療の理想形のようなものが見えた気がしました。

「医者が一番偉いわけではない。患者さんのことを思える人が一番だ」「病院の玄関に入ってきた人は家族と思え」という2つの言葉は患者さんのことを親身に思う気持ちが表れていました。私もそのような医師になりたいなという思いが強くなりました。

実習に来ていた医学生の「自分が自信を持っているようにみせなければ、他の人にそう思われることはない」という言葉が印象に残っています。「自信を持つこと、自信を持てるよう努力することが大事」とアドバイスをくれて、とても励みになりました。その医学生の方にとって現在在籍している大学は第一志望ではなかったそうです。でも、結果に悲観して歩みを止めるのではなく、「自分の置かれた場所でベストを尽くし、目標に繋がるであろうことを身に付ければ、チャンスをつかむことができると考えている」と話してくれました。

黒谷一志院長の病棟回診に同行

隠岐の人々がどんなことを思いながら生活をしているのか、どのような環境に置かれているのかを実際に知ることができました。初日にお祭りを見物したことで、近所付き合いが盛んなことや、優しい方が多いことも分かりました。

多くの人から話を聞き、隠岐という土地にさらに興味を持ちました。医療体験の前にフィールドワークがあることで、一緒に参加する高校生メンバーと仲を深められたのも良かった点です。

病院を利用する側である地域の人々の、病院や島の医療についての考えを事前に知ることができました。おかげで、医療体験の時に注目したいポイントが見つかり、医療者側・患者側・外部の高校生側という3つの視点で物事を見ることができました。

地域医療を学ぶ上で、その地域を知ることは不可欠です。フィールドワークのための事前調査も、その過程で西ノ島の産業など様々な情報を知ることができたし、ほかの高校生メンバーと共同作業する機会になった点でも意義深いものでした。実際に歩き周り、住民の方と接することで、隠岐島前にスムーズに入り込むことができたと思います。

医療体験が始まる前日に生徒たちはフィールドワークを行った。訪れた畜産農家では夏野菜を収穫!

どの職業にも共通して必要だと感じたのは「コミュニケーション能力」です。私は人と話すことが好きで、得意だと思ってましたが、自身の未熟さに気がつきました。幸いまだ社会に出るまでは時間があるので、たくさんの経験を積んでおこうと思います。

以前は「医師になりたい」と思うだけで、そのために何も行動ができていませんでした。目標を決めた今は全力で取り組めると思います。私の場合、課題は学力。やりたいことのため、勉強しようと決めました。

私は医療体験に参加する前、軽い気持ちで「患者さんに寄り添いたい」と言っていました。でも実際患者さんと話してみると、自分のコミュニケーション能力がそれほど高くないのもあり、少しも寄り添うことができませんでした。

最初にお会いしたのは100歳の認知症の患者さんです。「こんにちは、東京から来たMです」とゆっくり、大きな声でしゃべってみましたが通じませんでした。今思えば、患者さんの視界に入らないところから話しかけてしまったほか、ふだんの高い声でしゃべってしまったので伝わらなかったのかもしれません。

残りの4日間はこの時の反省を生かして声や話し方を工夫し、病棟の患者さんとの信頼関係をほんの少しだけ築けたと思います。

まず会話が成り立って、コミュニケーションが取れることがスタートライン。そこから患者さんに信頼してもらい、病気と患者さんの願いを聞き出せて、ようやく「寄り添う」ことができるのだと学びました。

何よりも先にコミュニケーション能力を鍛えなければならないので、今後も課外活動や今回の医療体験のような取り組みに積極的に参加して話す機会を増やしたいです。

私は以前から人の役に立ちたい、困っている人を助けたいと思っていました。でも、自分にできることを見つける観察力や配慮に欠けていたと気づきました。

医師や看護師は、患者さんの身体の異変に気が付くのはもちろん、立ち上がる時にすっと手をかしたり、履物を差し出したりと常に見守っていました。私も誰かに「これをして」と言われるのを待つのではなく、杖を取りたそうな患者さんを手伝ったり、ドアを開けておいたりと手助けできるように努めました。

今までは、臨床と研究は役割が分けられるような固定観念がありました。ですが、隠岐島前病院の医師たちは筋膜リリースという治療法を確立していました。抗がん剤治療を島でも行える態勢を、医師と看護師が協力して整えたことも知りました。学会で発表する薬剤師の方もいます。一人ひとりのスタッフが医療の質の向上を目指してチャレンジしているのです。こうした取り組みを目の当たりにして、医師として活動できる可能性の幅広さを知ることができました。

また地方というと、「困っている状況を助けなければ」というイメージが先行していました。ところが、隠岐の人々は「生活に何の不自由もない」と地域に誇りを持っていて、不便だと考えていた自分が恥ずかしくなりました。1週間と限られた時間でしたが、住民の方と接しながら過ごすことで、自分の価値観全体に変化があったと思います。

地域包括ケア病床、療養病床、一般病床…ナースステーションで病床の種類を説明してもらう

「この人にずっと診てもらいたい」と患者さんから思われるような、頼りがいがあって、信頼される医師になりたいです。

医療体験中、「先生に診てもらえて安心」「島前病院があるから安心できる」という言葉を何度も聞きました。隠岐島前病院の先生たちは、尊敬できる私の目標です。先生たちのようになれるよう頑張ります。

今回、「健康は幸せに直結している」ということに改めて気づかされました。その上で、医師は患者さんの思いや希望を聞き、エビデンスに基づいた医療を提供して、人々が健康に暮らせるようサポートができる仕事だということが分かりました。人を幸せにできる仕事だと思います。

将来は精神科医か緩和ケア医になりたいと思っています。高校生のうちから身近な家族の幸せを第一に考えて、目指す医師像に近づけたらと思います。

私は地域医療を良くするために、医療体験学習に参加する前から総合診療医になりたいと思っていました。想像していた「地域」とは私が住む愛媛のような町で、田舎といっても総合病院があります。病院には主な診療科はそろっていて、手術やお産もできるというイメージです。そこで働けば地域の人々の健康を守れると考えていました。

でも、この考えは甘かったかもしれません。イメージ通りの病院がどこにでもあるわけではなく、恵まれた地域ばかりではないことに気づかされました。隠岐島前病院ではできる限り自分たちで工夫して、診察や治療を行うというポリシーが感じられました。「他の病院に任せると時間とお金もかかり、患者さんの負担になる。自分達が少しでもできることをする」。私もこのように患者さんを支える医師になりたいと思いました。

僕は医学部を目指していますが身近に医師はいません。大学受験とその先の医師像との間にも大きな乖離がありました。だから少しでも早く医療の現場に触れるために参加しました。特に意識したのは、「患者さんの幸せの追求」「探求」の両立です。

隠岐島前病院では、総合診療医の活動は根本的に高い技術に裏付けされていて、だからこそ地域全体に安心感を与えられること、スタッフみんなが医療の可能性を広げるために探求心を持っていることを実感しました。

将来、地域医療に従事するかは分からないし、もしかしたら医師とは違う道に進むかもしれません。でも、どのような環境でも他者を幸せにして、探求心を持つ。それを両立し実現できるよう力をつけていきたいです。

畜産農家の協力で、国賀海岸を望む共同放牧地を訪れた