生徒たちの地域医療体験レポート(2023夏・志摩第1クール)

2023年7月に行われた地域医療体験(志摩市民病院/第1クール)に4人の高校生が参加しました。

・受験前に医療現場を内側から見たい Sさん(千葉・渋谷教育学園幕張高校)
・地域医療の現状を知りたい Nさん(東京・渋谷教育学園渋谷高校)
・将来は徳島や淡路の人を助けたい Mさん(徳島・徳島市立高校)
・人の誕生に関わる医師になりたい M君(愛知・海陽中等教育学校)

それぞれ何を経験し学んだのか──生徒たちの声を紹介します!

チーム医療の現実と意義を知ることができました。参加前、チーム医療とは医師と看護師が一つのチームを作り診察をすることだと思っていました。でも、実際はリハビリ担当の療法士、薬剤師、地域連携室の社会福祉士などもチームの一員で、一人ひとりが大切な役割を担われていました。それぞれの視点で見た患者さんの状態を共有して、患者さん一人の全体像を作り上げて治療に生かしていたことに驚きました。

多職種のスタッフのなかでも特に印象に残っているのは、訪問リハビリ先でお会いしたケアマネジャー(介護支援専門員)です。患者さんと介護・福祉の様々なサービスをつないでいて、心身とも弱っている人々にとってケアマネジャーのように話し相手になれる方が、いかに大切なのかに気づけました。

社会的に孤立している人が病院に行ける環境が整っていないという状況も訪問診療で目にしました。その帰り道、担当医の江角悠太院長が「医師は近所の人たちも話さないような人を訪ねる必要があると僕は思う。そういう人たちにも医療を提供するのが “絶対に断らない” 精神であって、国民全員に医療を提供する精神だ」と話したことが忘れられません。信頼できる医師の存在が大事だと思いました。

志摩市民病院の体験学習では生徒は入院患者さんを担当します。私はステージⅣの肺がんの患者さんを受け持ち、その方のベッドサイドで時間を過ごすなかで多くを教えてもらいました。「過去の夢がかなわなくても、新しい夢や目標を持つことが大切」という患者さんの夢は、退院して家に帰ること、大好きな海釣りをもう1回すること、ペットのワンちゃんと時を過ごすことでした。そこで、ささやかなサポートができたらという思いから、ご家族の協力を得てワンちゃんの写真を手に入れ、手作りのホワイトボードをプレゼントしました。患者さんは「平行棒往復10回」と書きました。「できることからやるのだ」と私に教えてくれたのだと思っています。

この医療体験で最初に得た学びは、医療従事者と地域の方々・患者さんの視点はそれぞれ違うということです。健康に過ごしたいという思いは一緒でも、どのような治療を受けたいか、最期はどのように過ごしたいかなどの希望は人によって全く異なります。全ての患者さんに適切な医療サービスを提供することの難しさも知りました。

志摩市民病院の大きな魅力だと感じたのは、患者さんの意思確認を大切にしていたことです。「退院したいですか」「胃ろうを希望しますか」などと聞かれて、迷いなく答えられる患者さんばかりではありません。自分でも何を望んでいるか分かっていない人や、遠慮して意見を言うことができない人もいます。そのような中で、医療従事者の方々は信頼関係を築き、些細なことでも見逃さないよう常に観察を続けていました。

地域医療の問題点も学びました。伊勢の病院まで片道1時間以上かかる救急車を見たり、検査のため名古屋まで行く患者さんのお話を聞いたりしたとき、医療へのアクセスの難しさを感じました。一つの病院が地域を支えることの限界、職員が感じているもどかしさが伝わってきました。

志摩市民病院では、三重大学の医学生が週末の夜間に看護助手を務める「しまうま」という制度があります。医学生によって立ち上げられたものです。職員以外にも、地域や学生の方々が熱意をもって地域医療の課題に取り組んでいることを知ることができたのは、大きな学びだったと感じています。

印象に残っているのは、訪問リハビリや訪問診療で先生方と患者さんとの距離がとても近かったことです。これまでは、医師は病院で患者さんを待ち、患者さんは病院に行くという関係性しか知りませんでした。雑談ができるほど近い距離というのは新しい発見でした。

志摩市民病院の患者さんの多くは、生まれ育った場所で人生を最後まで楽しみたいと考える人たちです。医療体験前に行ったフィールドワークでも多くの人が「不便なところはあるものの、志摩の暮らしが好きだ」と話していました。地域に人々が残るため、望むことをするために、病院には身近でサポートする大切な役割があるのだと感じました。

意外だったのは、漁業や農業などに携わる方々が健康診断を長年受けていないと答えたことです。「忙しくて健康診断どころではない」というのが理由でした。地域の人々の生活と健康を管理できれば病気になる人を減らせると私は考えていたのですが、江角悠長からこう指摘されました。「病気にならないよう全ての人が日頃から努力しているわけではないし、病気予防のセミナーを行っても元気な人は受けに来ない。予防を最優先するのではなく、別の方法を探るべきかもしれない」

私は、人生をより楽しむためには病気につながるような生活習慣を見直して、病気を予防することが必要だと思っていました。ところが、今回の医療体験でひたすら長生きするよりも、今そこにある豊かな日々を望む人がいることに気づきました。そのような人に病気予防のために多くを勧めて良いのだろうかという疑問が生まれました。例えば、病気予防のために望まない処方を増やして良いのか。本人が望まないことを強いると、その人の時間を奪ってしまわないか。予防は場合によっては必要だし、場合によっては不要であることを知り、本人の考えを汲み取ることが一番大切だと学びました。

大きなインパクトを受けたのは、80代の患者さんを受け持ったことです。がんの末期の方で、残念ながら医療体験中に亡くなられました。得難い経験だったのは、夜を通して男性の奥様と病室で過ごし、朝に亡くなるまでベッドサイドで見守る「看取り」を経験したことです。奥様は男性の人生やご家族のこと、趣味や職業、2人の出会いについて教えてくれました。僕はお孫さんにそっくりだそうで、「あなたのことを孫だと勘違いしているのかもしれない、一緒に看取ろうね」と話してくださいました。

朝を迎え、朝食を摂ろうと病室を離れたときのことです。患者さんが危ないと看護師さんから伝えられ、すぐに戻りました。心拍数や血圧、呼吸数などを示すモニターを見ると、心拍数がどんどん下がっていき、やがて0になりました。もう苦しそうに胸を上下することはなく、眠っているようでした。

その後は忙しく、奥様は葬儀会社と親族への連絡、看護師さんは男性を身ぎれいにする「エンゼルケア」と呼ばれる死後のケア。その後、死亡診断書が出されました。僕はベッドから担架にご遺体を乗せるのを手伝い、裏の出口でお見送りしました。病院に戻り朝食を食べたとき、「僕は生きている」と思いました。副菜の酢の物を「酸っぱいな」と感じたのです。また、こうした野菜などの命も得て自分は生きているのだと気づきました。

5日間で様々なことを体験しましたが、命と向き合った看取りは決して忘れませません。

「弱者に救いの手を差しのべるのは医療と医師の責務です」。社会的に孤立してしまった患者さんの家への訪問診療後、医学生と高校生に語る江角院長

入院患者さんの手がとても冷たかったのでさすって温めていたら、「ありがとな」と言ってくれました。その一言がとても嬉しく、印象に残っています。手を握ったり温めたりすることは優れた非言語的コミュニケーションで、 こうした小さなことから信頼関係が育まれ、意思疎通ができるという人間の力に感動しました。

コミュニケーションの一つとして「無言」があるという指摘にはびっくりしました。無言になっても気まずくならず、話す必要性を感じないということは信頼の証だと教えてもらいました。

今回の医療体験では「幸せ」について考えることが多くありました。フィールドワーク後、江角院長は地域の住民に「今幸せを感じているか」というインタビューを行ったことを教えてくれました。そのインタビューでは、家族が同居している、またはすぐ会える場所に住んでいる方はほとんど「幸せだ」と回答したそうです。これほど「幸せ」について本気で考えている人に会ったのは初めてのことで、とても心を動かされました。

最終報告会の時、日下伸明副院長は「あなたは、もうすでに一人の患者さんを救っているんだよ」と声をかけてくれました。私が担当した患者さんは認知症でしたが、ベッドサイドで話を聞くと海の記憶だけはしっかりしていました。そこで海について色々と質問するうちに、患者さんは海女として働いていたことを語りはじめ、童謡の「海」を歌い始めたのです。患者さんが入所していた施設でも、志摩市民病院の病棟でも、誰も歌う患者さんを見たことがなかったそうです。過去の記憶が蘇り、好きな歌を再び口ずさむようになったのかもしれないと思いました。

医学を学んでいない私でも、話したり歌ったりすること、ご家族に様子を伝えることなどはできます。患者さんの役に立てることがたくさんあるのだと分かりました。

医療体験の初日に担当患者さんに挨拶したとき、患者さんが私に何かを伝えようとしましたが、酸素吸入器を装着していたために聞き取ることができず、それが心残りです。

看取りは悲しいものだというイメージがありました。でも、江角院長先生のお父様の江角浩安先生は「しっかりとした準備ができれば笑顔で看取りができる」と教えてくれました。その通りだと思いました。

僕のエネルギーをあげます──そう念じながら担当患者さんの手を握り、ベッドサイドで過ごした

フィールドワークで学んだ知識は、患者さんと会話をする上でとても役に立ちました。訪問診療で伺った100歳を超える患者さんが、昔は真珠の「珠入れ(挿核作業)」をされていたと教えてもらいました。フィールドワークで真珠の養殖場を訪れて、珠入れとは何かを教えてもらえたからこそ、患者さんとやりとりが出来たのだと思います。

また和具漁港で競りや水揚げを見学できたことで、漁業に携わる患者さんと話をすることもできました。「和具漁港に行ってきました!」と言うだけで漁の話をしてくれたり、美味しい魚を教えてくださったりと、話を広げやすかったです。

私の担当患者さんも珠入れをお仕事にされていたので、養殖場で見たことについて話すととても興味を持ってくれました。

 

事前に調べて「漁業が有名」と聞いていたけど、ブランドになっている海産物と実際に地域の人が食べている魚は違いました。また郷土料理なども違う部分がありました。現地で直接聞くことでしか得られない情報だったと感じています。

ふだん暮らしている土地の感覚のまま研修先の医療現場に入ると、何らかの違和感を覚えるはずです。研修先を実際に歩き回り、自分たちの日常と何が同じで何が違うのかを探って、その答えを見つけられるのがフィールドワークの利点だと思います。

実際、フィールドワークで学んだことは、病院ですぐに役に立ちました。「僕もそこに行きましたよ!」などと会話のきっかけになったのです。

フィールドワークで訪れた伊勢志摩採苗センター。センター前の英虞湾で育成中の母貝養殖現場医に向かった

医療体験に応募した時は医師という進路はまだ漠然としていましたが、本当に自分が進みたい道だと確信できました。医療現場を知ることで勉強へのモチベーションも上がりました

モチベーションが上がった今は、周りに追いつきたい気持ちでいっぱいです。「受験なんかまだだ」と勉強をさぼってきたことを後悔しています。「頭が良いから」「理系だから」という理由で医学部を受験する人に負けたくない。勉強する理由が見つかりました。

担当患者さんと出会ったことで、「今」を大切にするようになりました。今まで私は家族や友人に会えることを当然のように感じていました。でも、人生の最後を見据えて日々を過ごす患者さんとお話したことで、「今しかできないことをしよう」という意識が芽生えました。具体的には、祖父母にビデオメッセージを送るようになるなどの変化がありました。

地方の問題についても、医療体験前と比べて意識が上がりました。久しぶりに祖父母の家を訪ねた時、耕作されていない田んぼが増えていて寂しさや危機感を覚えました。以前ならほとんど気にしなかっただろう田舎の変化に目を向けるようになったのは、医療体験のおかげだと感じています。

東京に戻っても忘れられないことがあります。それは、知的障害の影響で家族や他の医療機関に見放されてしまった患者さんの訪問診療に同行したことです。「社会的孤立」は聞いたことはありましたが、家族がいて、通院できることが当たり前の私にとって遠いところで起こっている出来事だという感覚だったのです。そんな私にとって、社会的孤立の現実は衝撃的でした。将来、このような患者さんに手を差しのべられる医師になりたいと思うようになりました。

以前の私は相談した人の提案内容に納得できないと、その意見を受け入れないことがありました。でも担当患者さんと話す中で「こんなときは、どうしたらいいのだろう」という場面に直面しました。自ら答えが出せない時、一緒に参加したメンバーと情報を共有すると一人では思いつかなかった考えを得ることができました。

また、「患者さんと向き合うことは、本人を知ること」だと学べたことも大きな収穫できした。これから学校などで人と関わるときも、相手がどのような人なのかを知ることで、より良い関係を築けると思いました。

志望大学を考える基準が変わりました。以前は何となく地元に近い大学と思っていましたが、大学の位置する地域のことを意識するようになりました。大学は人生のなかでも自由度が高い時間だと思うので、何を経験したいかを考えて進路を選びたいと思います。

体験学習の後半、「患者さんに声をかけるのがうまくなった」とメンターの大学生が評価してくれました。おそらく周りの医師や看護師さん、仲間たちの影響でうまくなったのだと思います。また、一緒に参加した女子3人の行動力とコミュニケーション力はとても高かった。いつでも、どこでも大切になるとことだと感じたので、僕も身に付けたいです。

「活発になった」と学校の先生に言われました。これも医療体験のおかげだと思います。少し話がそれますが、夏休み後に学校の寮のフロア長になりました。責任のある立場で皆を率いていくと考えたときに、なるべく信頼され、慕われる人物になりたいと感じました。医師も同じで、「自分が皆を助けるのだ」というリーダーシップや責任感が人を変えるのではないかと思います。

許可を得て、ナースステーションで担当患者さんのカルテを調べる

医療体験前は、「臓器移植に興味があるから外科」「ドクターヘリに関われるから救急科」というように、どのような業務に携わりたいかを基準に目標を見定めていました。でも、「どのような医師になりたいかということと専門科は必ずしも一致しない」と江角院長から教わり、色々と考えるようになりました。

私は様々な人に幅広く医療を提供したい。生まれ育った米国や豪州などでも医師として働きたいし、常に新しい医学知識を身につけていたい。また、医療体験後は国民皆保険の精神と理念が実現できるよう、全ての人に提供できる医療を作りたいと考えるようになりました。

参加前は夢も興味もさまざまな方向に分散していて、地域医療に関わることはないだろうと感じていました。ずっと首都圏で暮らしてきたので地域医療のことは想像しづらかったのです。

だからこそ、志摩市民病院での経験は大きなインパクトがありました。「これが私のやりたかったことだ」と感じたのです。自分に寄り添ってくれる、信頼のできる医師がいることの安心感は、高度な医療を受ける安心感に勝るとも劣りません。なりたいと思っていた「信頼できる医師」という目標に近づくためには、地域医療が一番良い方法なのではないかと感じるようになりました。

私の今の目標はへき地で総合診療医になり、地域の安心の源となることです。もちろん、今回の医療体験で見ることが出来たのはほんの一部であることは承知しています。でも、地域の人に寄り添う医師になりたいという気持ちは変わることはないと思います。

参加前は、地域の人を日頃から診ていれば病気を予防することができ、そのことが「地域に寄り添う」ことなのかなと考えていました。でも、すべての人が長生きだけを重視しているわけではないことを知りました。このことによって、求めるべきことは、その人の願いに添った医療を提案することなのだと考えるようになりました。また、患者さんに寄り添うということは一人ひとりの患者さんをよく知ることで、そのためにも地域を知ることが大切だと感じました。

私は、患者さんやご家族と考えを共有できる“架け橋”のような役目を担う医師になりたい。そして、生まれ育った徳島の人々を助けたいです。

地域の人々のQOLを向上させる、総合診療科と産婦人科を両立できる医師になりたいです。総合診療の医師になりたいと思ったのはこの医療体験がきっかけです。

産婦人科には以前から関心がありました。中学の授業で同級生が産婦人科医について発表しているのを聞いて、「命の誕生を手伝う仕事は素敵だな」という気持ちが芽生えたのです。そして、今回の医療体験で江角院長は「総合診療も産婦人科も両方やればいい。人口減少社会に立ち向かえる医師になってください」と励ましてくれました。

医療体験の後、大学のオープンキャンパスで総合診療科と産婦人科の両方を取得することは可能かを質問しましたが、否定的な答えが返ってきました。制度の問題なので今後変わるかもしれません。産婦人科の専門医の資格を持ちながら、実質は総合診療の仕事を行う医師もいるそうなので、そのような働き方を目指していきたいです。