2022 地域医療体験レポート

志摩市民病院(三重県志摩市)で行われた地域医療体験を最終日までご紹介します!

3日目

4日目

3日目

◆看取り
F君に連絡が入ったのは午前3時55分のことでした。
「患者さんの呼吸が止まりました。病院に来ることができますか?」

病院に駆けつけたとき患者さんは既に亡くなっており、ご家族が病棟のデイルームで肩を落としているところでした。F君は、その時の心境をこう振り返ります。
「救急搬送された日の患者さんは意識もしっかりしていたし、体も動いていた。すぐに回復すると思っていましたが、(肺炎で)人の状態が1日でこれほどまでも変わるのだと知りました。
患者さんんが亡くなった後、エンゼルケアが終わり病室に入る機会をいただきましたが、自分がとるべき行動について悩みました。赤の他人で医療従事者でもない僕が、家族の大切な時間を邪魔していいのか不安だった。人の死にも関わる医療従事者の仕事の難しさを肌で感じました」

◆患者さんを支えるために
一方、O君は3日目も精力的に院内を動き回りました。担当患者さんと会話を重ね、作業療法士にリハビリの目的を逐一質問します。

「人間は目的が分からないと頑張れませんよね。僕もそうです。骨折後のリハビリはとても大切ですが、患者さんはすごく疲れると話していました。それなら僕が、作業療法士さんにリハビリの狙いを詳しく確認して、患者さんに分かりやすく説明したい。そうやってリハビリに取り組むモチベーションをサポートしたいのです」

4日目

◆退院祝い、しかし──
K君も102歳の担当患者さんと信頼関係を築けたようです。

「患者さんは退院を間近に控えていたので、病院にいる間はできるだけ幸せな気持ちになってもらいたい。話の聞き手になれるように心がけ、分かりやすく身振り手振りでリアクションするようにしました。でも一方的に話をするのは僕自身もしんどいし、それが相手に伝わってしまうと逆に気を遣わせてしまう。だから、“Being”、患者さんの側にいることを心がけました」

午前中に退院する患者さんのために花束を用意し、患者さんからは花の塗り絵をもらって嬉しかったというK君。
ところが、退院後に通う予定だった高齢者施設で新型コロナウイルスのクラスターが発生したため、行き場所がなくなってしまったのです。結局、一晩だけの帰宅となり、利用できる高齢者施設が見つかるまで志摩市民病院に“再入院”することになってしまいました。退院の喜びから落胆まで、その一部始終を見たK君はこう語りました。

「現在の高齢者サービスの限界を感じました。担当患者さんのご家族はダブルワークをしているため、一緒に過ごす時間がほとんどない。いくら患者さんに寄り添う医療を目指しても、こうした現状があれば、退院後のサポートを手厚くできるのだろうか....。改善すべき課題を垣間見た気がしました」

◆患者さんを励ますお楽しみ会!
昼食後は、生徒たちが患者さんを励ますイベント。車椅子で移動できる患者さんがナースステーション前の交流スペースに集まりました。
K君は出身地のリハビリ体操、Nさんは地元・徳島の阿波踊り、F君はダンスを披露して、発案者のO君がピアノを演奏しました。

「筋肉痛になるくらい楽しめた」「ピアノを聴けて嬉しかった」など顔をほころばせる患者さんたち。4人も挑戦して良かったと感じたそうです。

◆看取りについてディスカッション
お楽しみ会終了後は、F君が早朝体験した看取りについて、担当医の日下医師、研修中の川島看護師、三重大学の医学生を交えてディスカッションを行いました。
患者さんにとって、自宅と病院のどちらで死を迎えることが幸せなのか、家族の意向をいつ確認したらよいのか、医療従事者はご家族の前で泣いていけないと言われるがどうなのか……
日下医師が「医師はプロフェッショナルとして対応しないといけません」と生徒たちにアドバイスをしてディスカッションは終了しました。

医療体験の中断と解散
夕方、重大な発表がありました。新型コロナウイルス感染症陽性の入院患者さんが出たため、病院の研修規定に従い医療体験を速やかに終了することになったのです。最終日まであと1日を残しての中止でしたが、日下医師が4日間の振り返りをしっかりと行ってくれて、江角院長も駆けつけてくれました。

受け持ち患者さんへのあいさつもかなわず病院を後にした4人でしたが、K君は「やるべきことは毎日全力で取り組んだので心残りはありません」、NさんとF君も「参加した目的は達成できた」。O君は「日本の将来をこれだけ真剣に変えようとしている人たちと会えたことが衝撃的。自分も日本の未来のために尽くしたいと思えるようになりました」と振り返りました。