メンター医学生が見た高校生の医療体験
平戸市民病院の医療体験では、徳島大学医学部4年の藤井万里古さんが高校生4人のメンターを務めてくれました。藤井さんは高校時代、TtF理事長が前職で企画した医療体験に参加した経験があり、「医学生になった今、私が高校生をサポートしたい」と手を挙げてくれたのです。患者さんの気持ちに寄り添い、できる限り心と体の痛みを取り除くことが医師の役目だと考える藤井さん。1か月以上前から生徒たちをオンラインでサポートし、平戸では寝食をともにした医学生の目に映った1週間をレポートしてもらいました。
高校生が探した「患者さんの幸せ」
徳島大学医学部4年
藤井万里古
今回の医療体験で高校生4人に課せられたミッションは、「担当患者さんの幸せについて考えること」。平戸市民病院での医療体験が始まり、実際に担当する患者さんに接したとき、生徒たちはとても戸惑っているように見えました。人を病気という苦しみから救いたいと思い医師を志している生徒たちが担当することになったのは、医療従事者ですらどのように手を差し伸べればいいのか悩むであろうケースだったのです。
そんな患者さんたちを前にして、まだ医学を学んでいない高校生たちが「自分たちに何ができるのか」と毎日深く悩み、答えがなかなか見えないなか、何とかしようと探る姿を私は近くで見ました。「コミュニケーションをとりたい」とたくさんお話ししたり、患者さんの好きなものは何だったのかご家族にお話を聞いて工夫してみたり。ご家族のためにベッドサイドで話した内容をメモに残すなど、とにかく試行錯誤の連続でした。
特に印象に残ったのは、コミュニケーションをとることが難しい患者さんを担当した2人の生徒。ここではその2人について紹介します。
┃ 手をとり見守るだけでも
1人目は米ロサンゼルスから一時帰国して医療体験に参加した高校1年生のMさん(もう一人のMさんは長崎県立諫早高校の3年生です)。切断した足の状態が悪く、強力な感染症の治療が始まった重い病状の高齢女性を担当することになりました。女性は意識があってもなかなか声が出せず、Mさんは意思疎通ができないことに初めはとても悩んでいました。声をかけると女性は何かを伝えようとしてくれます。でも、そのか細い声を聞き取るのは私から見てもとても難しい状況でした。
それでもMさんは女性の手を握り、その指差す先にあるものを懸命に探し、何を望んでいるのか必死に追い求め続けました。女性はMさんの手を握りながらうつらうつらとするのですが、ふと目を覚ますと何か落ち着かないようです。そんなとき「ここにいますよ。大丈夫です、安心してください」とMさんが声をかけると、本当に安心した表情でまた目を閉じたシーンが記憶に残っています。信頼できる人がそばにいてくれることに、とても安心していることが伝わってきた瞬間でした。
その後、Mさんは女性のご家族と話す機会を得ました。ふだん何を好んでいたのか、どのような生活をしていたのかを確認したところ、花を育てて愛でていることを知ることができました。そこで、女性の好きだった花を飾ることにしたのですが、院内は生花の持ち込みができません。そこで花の写真を、せっかくなら女性が自ら育てていた花の写真を撮ってベッドサイドに飾ろうとMさんは考えました。
そのために自宅にお伺いしたところ、ご家族はこう話したのです。「病院から電話がかかってくるのが恐ろしい。でも、もう覚悟はできている。本人の性格からして、悔いの残るような生き方はしていないと思う。きっと幸せだったんじゃないかな」
女性の命が燃え尽きかけていることを家族も受け入れているのだと知ったMさん。病院に帰る車の中で静かに涙を流していた姿が今でも忘れられません。
撮ってきた写真をもとに色紙で造花を作るMさんの姿を見て、私はこれこそが「ひとを想う」ということだと感じました。家族でも医療従事者でもない高校生が、患者さんにできることは限られています。ですが、Mさんは本当に患者さんのことを想い、考え、行動していました。
医療における「寄り添い」とは何を指すのかがしばしば俎上に上がります。職種によって異なると思いますが、Mさんはその本質を学べたのかもしれません。
┃ 会話のコミュニケーションを超えて
2人目は、脳梗塞によって半身麻痺と失語症になった男性を担当した高校2年生のHさん。ふだんはとても明るくはつらつとした女子高生ですが、失語症の患者さんを前にして「何もできない」と一番悩んでいたのは彼女ではないでしょうか。彼女は話すことが好きで、コミュニケーションをとることが難しい男性にたくさん話しかけていました。
失語症にも色々ありますが、患者さんは重度の失語症。話す、理解する、読む、書くなどの言語機能が障害されている状態です。この症状から、、周りの医療従事者からは当時の状況では話すことができないと考えられていました。しかしこの医療体験中に、Hさんの声がけに対して患者さんが発話をしていることに気がつきました。担当の理学療法士は「当初は発話すらできなかったので今は回復の過程。とにかく話しかけることが大切」とHさんに伝えていましたが、それを実践したのは本当に素晴らしいことです。
また、私が病棟の廊下を歩いていた時、ふと窓のたくさんある談話室を見ると、患者さんがHさんの手を握りながら窓辺で眠っていました。なぜここにいるのか尋ねると、こんな答えが返ってきました。「ほとんど首が動かせない患者さんの前には仕切りのカーテンがあって、外を見ることができないことに気がつきました。看護師さんに窓が見える場所までベッドを移動させてもらえるようにお願いしたんです」
コミュニケーションがとれなくても、患者さんが何を求めているのか必死に考えて、それを行動に移していました。「何もできない」と嘆いていた彼女ですが、実際には、患者さんの幸せのために行動できていたのです。
┃ 改めて考える、これからの医療とは
生徒たちと過ごす中で、よく私から話していたことがあります。それは、「患者を『不幸』だと決めつけて見てしまっていないか」ということ。確かに病を患っているという点においては辛いことも多いでしょう。だからといって、その人の全てが不幸になったというわけではない、ということです。
平戸市民病院の中桶先生も話していたように、医療従事者は患者に病気のレッテルを貼って見てしまうことが多いといいます。私はふだん医学を学ぶなかで、特に医師には仕事内容からして、その傾向が強いのではないかと感じます。
患者と院内で接する機会が多いのは医師よりも看護師です。対して医師の仕事は、年齢、性別、身体所見、既往歴などから診断し治療することです。もちろんこれが仕事なので、全く悪いことではありません。ただ、現代社会において本当に医療に求められているのは「全人的医療」だと言われています。患者と医師が対等な関係に立ち、対話をしながら治療方針を決めていく。患者の疾患だけでなく、多角的に今後の人生を見つめる。それらが医療従事者に求められているのではないでしょうか。何か問題がないか探して、それを解決するだけの作業ではありません。ただし、この医療を業務時間内で完璧にこなすのは難しいということもまた事実です。
私は高校2年生の時、早期医療体験プログラムに参加しました。お世話になったのは大阪大学附属病院心臓血管外科で、いわゆる最先端医療を体験させてもらうことができました。重い循環器疾患の患者さんにとって「最後の砦」と言われる同科で私が見たのは、他の病院では治療できない疾患に果敢に立ち向かう医師たちです。どうしても救えない命もあると知りましたが、誰が見ても憧れるような、まるで医療ドラマを見ているようなまばゆい現場でした。
今回、平戸で高校生たちが体験した医療は、終末期医療を含む地域医療です。地域の人々の健康と命を守りながら、現在の医療ではどうしても治せない、予後の限られた患者さんの幸せを考えて行動する現場です。
医療現場にも役割分担があります。高校生たちが今回学んだのは、最先端医療のように特定の病態の患者さんを治すのとは異なる、その地域に住む患者さんたちの人生に寄り添う医療だったのではないでしょうか。
少子高齢化に歯止めがかからない日本において、地域医療はその地方の存続にかかわる重要なインフラです。そんな医療の現場を高校生という感受性の強い時期に経験できるのは、たとえ将来医師にならなくとも、とても価値のある経験だと思います。医学を学ぶ前だからこそ、患者に病気のレッテルを貼らずに接することができ、その経験は今後、人とどのように接するべきなのかという道標になるはずです。
平戸市民病院で学んだ生徒たちは将来、きっと「患者の人生に寄り添う」医療を体現してくれるだろうと私は確信しています。また、「研究がしたい」という声も聞きました。臨床医のマインドを持ちつつ、より多くの人の人生に影響を与えるような人物になるのかもしれないと思うと、そのきっかけに関わることができたことが本当に嬉しい。
話は変わりますが、今まで会ったことのない、年齢も異なる5人で1週間共同生活を送るというのもとても新鮮でした。一緒にご飯を買いに行ったり、真剣に将来について語り合ったり。最終日に海で先生と花火をしたことも良い思い出です。
慣れないことが多く大変なときもありましたが、実りある1週間だったのではないかと感じています。私自身、メンターとして頼りない部分が多かったと自覚していますが、高校生たちと共に考え、成長する機会をいただけたことに心から感謝しています。
医学部で実習に参加することができるのは5年生からです。実習前の私にとってもこの経験は、今後医学の勉強や実習をしていくうえで、大変励みになるものでした。平戸市民病院の先生方や患者さんの姿を見て、自分の中で理想の医師像がより明確になりました。
今回高校生として参加した4人が、数年後にまたTouch the Futureのメンターとして活躍してくれることを願っています。