平戸市民病院での体験と学び《理事長レポート》
TtF理事長が見た1週間
土井 毅
2024年夏の医療体験は6都県7病院で行われ、医師になりたい高校生29人が参加しました。7病院のうち3病院が新たにTtFの生徒たちを受け入れてくれましたが、その一つが長崎県の西北端にある平戸市民病院です。
かつて南蛮貿易の拠点として栄えた国際都市・平戸も、現在は人口減少と高齢化に歯止めがかからない地方都市の一つ。この厳しい状況の中で人々の健康と命を守りつづける平戸市民病院に集まった高校生4人は、どのような体験をして何を得たのでしょうか。TtF理事長が見た生徒たちのを体験を少しだけ紹介します。
担当患者さんを幸せにする─高校生への課題
「どこが痛いですか?ここ?看護師さんを呼びますね」。2階病棟ベッドに横たわる高齢女性に話しかけるのは、地域医療を学ぶため米ロサンゼルスから一時帰国した高校1年生。女性は急性動脈閉塞のために高次医療機関で左足を切断し、平戸市民病院に転院後も強い抗菌薬と鎮痛剤の点滴を受けています。しきりに患部に手を伸ばして何かを訴えるため、その声を聞き取ろうと生徒も必死。女性の口元に耳を寄せ、すぐナースステーションに向かいました。
同じ病棟の談話室。膝をついて80代の男性と話していたのはOさん(筑紫女学園高校2年)です。男性はインスリンが体内で造られない1型糖尿病と認知症を患い、入退院を繰り返しているのだと主治医から教わりました。問題は、食が細り治療に対して意欲を失っていること。「生きていても仕方ない」と床を見つめる様子に、Oさんは思わず涙を流してしまいます──
このように、TtFの医療体験の多くでは生徒一人ひとりが入院患者さんを担当し、「患者さんの願いを聞き出し、その人の幸せが何かを探る」という課題が与えられます。病状や日々の暮らしぶりを確認し、患者さんの幸せを考えるのは医師の基本となるからです。
この課題のもう一つの狙いは、患者さんを通して看護師やリハビリ療法士、社会福祉士、薬剤師などが果たす役割を学ぶこと。生徒が自ら問題点を発見し、それを解決するために積極的に動けば、院内外の多くの医療スタッフが患者さんをサポートしていることが分かります。
どれも高校生にとって難しい課題ですが、経験が人を育てます。平戸市民病院の中桶了太副院長は、初日のオリエンテーションでこう生徒たちの背中を押しました。
「患者さんは医療スタッフに全てを語るわけではない。でも、その語られないところに治療の大切なヒント、その人を幸せにする何かがあるかもしれない。みなさんはそれを探り、私たちに教えてください」
┃ 患者さんの “人生” を知る大切さ
では、この課題に生徒たちはどのように取り組んだのでしょうか。
気力を失った男性患者さんの姿に涙を見せたOさんですが、「男性がなぜポジティブになれないのか」を探りはじめました。
本人とやりとりをするのはもちろん、主治医や病棟の看護師さんにもヒアリング。さらに、院内に併設された訪問看護ステーションにも足を運び、男性を担当していたスタッフの話を聞いたことがOさんの視野を広げるきっかけとなりました。男性が食欲不振に陥った経緯を確認できたほか、食事面で献身的に支える奥様や父親を気遣う子供たちの存在を知ることができたのです。
ご家族の考えを聞く必要があると考えたOさんが男性の自宅を訪れると、奥様はこんな話をしてくれました。「糖尿病を発症する前は地域で歌を教えるなどとても前向きな人」「夫が好きな野菜を食べられるよう野菜を育てている。大変だけれど支えたい」。1時間あまりの訪問で、カルテからは読み取れない患者本人や家族の思いに触れることができました。
「同じ医療従事者でも職種などによって患者さんの評価が違うし、家族の考えも異なる。多角的に考察する大切さに気づくことができた」と日々の体験を振り返るミーティングで報告したOさん。院内外のスタッフの意見も踏まえ、男性が自宅でポジティブに暮らせるヒントを奥様と一緒に考えはじめました。
┃ 「できないこと」も受け入れる
脳梗塞で半身麻痺と失語症になった男性を担当したHさん(長崎県立長崎西高校2年)も、悩みながら患者さんと向き合いました。男性の手に自らの手を重ねながら話しかけたり、食事の介助をしたり。顔を窓側に傾けられない男性が病室のカーテンと壁ばかりを見て過ごしていることに気づくと、「景色を眺められるようにしてあげたい」と主治医に相談。良く晴れた日の午後、一時的に談話室の窓際にベッドごと移動することができました。
時間を見つけては男性のベッドサイドで過ごすうちに「表情が柔らかくなってきている」「心の距離が縮まった」と手応えを感じたHさん。でも、大きな壁にぶつかりました。後遺症の言語障害は深刻で、男性の口から発せられる訴えが理解できないのです。なんとかして患者さんの役に立ちたいと、病院の理学療法士さんにアポイントメントを取り、脳組織損傷による言語障害とそのリハビリの難しさについて学びました。
「出来ることと出来ないことがあるのを実感した5日間でした。現実をきちんと受け入れて、どうやって対処できるのかを考えられる医療人になりたい」と前を向きます。
┃ 高齢化社会の現実に涙
豊かな自然に恵まれた島原半島で生まれ育ったMさん(長崎県立諫早高校3年)には「将来は故郷で医療を担いたい」という明確な目標があります。
そんなMさんが担当したのは、病院で最期を迎えようとしていた終末期の80代女性。モルヒネが投与されているため意識レベルに波がある難しいケースです。「家に帰りたくない」と医療スタッフには意志を伝えていましたが、ベッドサイドで見守るMさんに話すのは故郷や家族のことばかり。「本心では何を望んでいるのだろう?」とMさんは悩みました。そして4日目、女性はポツリと「家に帰りたい」とつぶやいたのです。Mさんの心は揺さぶられました。
理想は住み慣れた環境で家族に見守られて最期を迎えること。女性の家族も、「できれば家に帰ってきてほしい」という気持ちはあったそうです。でも、家では十分な医療を受けられず、痛みで苦しむ様子を家族に見せてしまうかもしれない。たとえ患者本人と家族の考えが一致しても、それは果たして両者の幸せにつながるのだろうか──
人口減少が進み、医療を受けられない高齢者が地域を離れていく故郷の様子を見てきたMさん。お年寄りの最期の願いが叶えられない現状が悔しくて涙をこらえきれませんでした。
医学生もサポート
◇ある日の医療体験メニュー
午 前
- 医療スタッフ全員が参加する朝カンファレンスを見学
- 2人一組の2グループに分かれて行動
・医師2年目の研修医による外科処置を見学
・中桶医師の外来診察を見学
- 4人全員でリハビリ部門を体験
午 後
- 医局で昼食、休憩
- 高齢者施設への訪問診療に同行
- 中桶医師と振り返りミーティング
(午後5時から約1時間半)
・一人ひとりが体験した内容を報告
・出来たこと、出来なかったことを発表
・中桶医師が一人ひとりにアドバイス
・翌日の目標を設定
・医局で夕食、宿舎に戻る
期間中は、生徒たちのためにさまざまな体験メニューが用意されています。午前8時、医局に集合して1日が始まり、多岐にわたるプログラムを経験しながら担当患者さんとの時間を作ります。今回は国際医療支援に関心のある生徒が複数いたため、3日目は長崎大学病院と長崎みなとメディカルセンターを訪れ、長崎の医療に携わりながら国際医療支援活動に従事する医師たちと過ごしました。
医療の最前線でさまざまな壁にぶつかる生徒のそばには、頼もしい“助っ人”がいます。TtFの医療体験は、メンター役の医学生が1か月以上前からオンラインで生徒たちをサポート。期間中も寝食を共にして、きめ細やかに支えてくれるのです。
今回、平戸でメンターを務めたくれたのは徳島大学医学部4年の藤井万里古さん。生徒たちが困ったときにアドバイスをしたり、医学知識を説明したり。夜、宿舎に戻った後も翌日の計画や、進路についての悩みまで相談に乗ります。年齢が近い医大生は、高校生にとって話しやすい存在です(次回は藤井さんのレポートを紹介します)。
┃ 最終日─新たな目標を胸に
医療体験最終日。院内で開かれた報告会で、Mさんは「私は将来、故郷の人々に安心感を与えられる総合診療医になりたい。一人ひとりの患者さんに合った病気との付き合い方を教えたい」と語りました。その目には強い志が宿っているように見えました。
院内外で精力的に活動したOさん。「医療の現実と希望を知ることができた」として、1週間をこう振り返りました。「病棟には延命治療や緩和ケアしか手段が残っていない人々がいた。現代医療ではもう何もできないと知ったときの無力感、やるせなさは大きかった。でも、厳しい状況と向き合う仕事だからこそ、医療従事者には寄り添う心が必要なのだと思えた。患者さんの人生を再び輝かせたいと願う気持ちと、それを実現できる技術のある医療人になりたい」。
早朝から夜遅くまで働く医師の姿を目の当たりにしたHさんは、その忙しさを体感して、一人の患者さんにつきっきりで寄り添うことの難しさを痛感しました。それでも、患者さんと家族の希望を叶えるため、「限られた時間の中でも密なコミュニケーションを目指したい、そして患者さんに『先生ば見たら元気になったばい』と言ってもらえるような医師になりたい」と決意を新たにしました。
┃ 高校生が遺したもの
生徒たちが平戸を去ってから2か月。Oさんが担当した男性は鬱で入院することがなくなり、穏やかな表情で外来に通院しています。この変化について、「高校生に励まされて生きる自信が出てきたようだ」と中桶医師。Hさんが担当した脳梗塞の男性も、表情が豊かになったとスタッフから評価されているそうです。
「医学生でも医師でもない高校生を受け入れることに不安がなかったわけではない。でも、4人は担当した患者さんに精一杯寄り添い、患者さんから多くを学ぶことができたと思う。生徒たちが残してくれたレガシーは確実にある」と中桶医師は語ってくれました。